【レビュー】「大人になるという事はどういう事なのか」 映画「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ モーレツオトナ帝国の逆襲」のあのシーンを基に解説

「大人になるという事はどういう事なのか」

映画「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ

モーレツオトナ帝国の逆襲」のあのシーンを基に解説

 

20代になってから、改めてクレヨンしんちゃんを見たら

号泣してしまいました。

この映画色々深いですよねぇ。

 

という事で今回はこの映画で特に深いなぁと思った

有名なシーンである

ひろしの回想シーンに絞って解説していきたいと思います!!!

 

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引用:wowow.co.jp

 

 

 

1.あらすじ 

クレヨンしんちゃん」の劇場映画シリーズの9作目。昔のテレビや生活を再現した「20世紀博」に夢中で仕事をしなくなる大人に異変を感じるしんのすけ。それは大人の回顧心を使って未来の時間を奪うオトナ帝国化計画だった。

引用:filmarks.com
クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」予告

 

 

 

2.ひろしの回想シーンが深すぎる

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引用:cinematoday.jp

 

という訳で...ひろしの回想シーンを解説していきたいと思います!!

このシーンはイエスダディ・ワンスモアのリーダである、ケンが放った昔ながらの懐かしい匂いに取り憑かれ、子供に戻りたいひろしを

しんちゃんが助ける超有名なシーンですが

改めて見ると、いやぁ深い!!!

このシーンだけで色んな事が考えさせられますね。

では具体的にこのシーンから何を読み取れるのかを述べていきたいと思います。

「大人になるという事はどういう事なのか?」

これまで多くの人達がこのシーンのレビューをしてきたと思いますが

改めてこのシーンを見た時、大人になるという事は一体どうゆう事なのかを考えさせられました。

 

この回想シーンはひろしの幼少期から映し出され

ひろしが父と自転車をこいでいるシーンから写しだされます。

その後、みさえとの出会いのシーン

しんちゃんの誕生

ひろしが満員電車に揺られているシーン

ひろしの家族が自転車をこいでいるシーン

 

といったような順で回想シーンが遷移されていきます。

 

このシーンの遷移は

ひろしの父から"受けてきた"愛というのは

みさえ、しんちゃん達の出会いによって

"尽くす"愛へと変わっていくという

ひろしの愛の在り方の遷移とも読み取る事ができるのではないしょうか。

 

大人になるという事は

 

愛を”受ける側”から。

”与える側”に立つ事

 

そんなメッセージがこの回想シーンには込められていたのかもしれないですね。

 

 

【レビュー】天気の子もいいけど、『サマーウォーズ』を見なきゃ夏は始まらねぇんだよな。

天気の子もいいけど

サマーウォーズ』 を観なきゃ夏は始まらねぇ

 

 

天気の子が話題になっていますが...............やっぱり

サマーウォーズを見なきゃ夏が始まった気がしねぇよ!って

人が居るんじゃないでしょうか?そこで今回はサマーウォーズ

細田監督が伝えたかった事と感想を書いていきたいと思います!!

よろしくおねがいしまあああぁぁす!!

 

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(C)2009 SUMMERWARS FILM PARTNERS

 

1.あらすじ 

 数学が得意な高校2年生の主人公の小磯健二は、憧れの先輩である高校3年生の篠原夏希に、実家に一緒に来てくれと誘われます。 夏希の実家のある長野県上田市に行くと、90歳になる夏希の曾祖母陣内栄の誕生日を祝うために親族26人が集結していました。そこで健二は夏希に、婚約者のふりをするように頼まれます。栄おばあちゃんに、婚約者を連れてくると約束してしまったことが理由です。 時を同じくして、インターネット上の仮想世界「OZ」が「ラブマシーン」という人工知能に乗っ取らてしまいました。

引用:ciatr.jp

 

なお、サマーウォーズは現在 U-NEXT で視聴可能です。

U-NEXTには31日間無料トライアル期間があります(配信終了予定2020年4月24日)

登録するしかねぇなこれは。

 

2.細田監督が伝えたかった事  

この映画では「繋がり」がテーマの一つになっております。

現代社会では、インターネットなどの普及により

昔よりも確実に、より多くの人と繋がれるようになりました。

 

しかし、あまりにコミュニケーションが簡単に

取れるようになったせいで、人と人とが声を掛け合って

コミュニケーションをとる機会が少なくなり現代社会において

人との繋がりが少し希薄になっているような気もします。

 

細田監督は

 

家族との「繋がり」という

人類最古のネットワークを映すことで

人と人が直接声を掛け合って繋がることの大切さを

伝えたかったのではないでしょうか。

 

 

3. 個人的な感想

まず率直に映画を観終わって思ったこと。

夏希先輩可愛い。(笑)

 

健二みたいな学生生活過ごしてみてぇよ!!!

本当にうらやましいなぁと思いました。

数学頑張れば、健二みたいな薔薇色ハッピーライフがすごせるのかなぁ?(笑)

 

クソみたいな感想ですみません。

夏楽しみですねぇ!!

 

 

 

【解説】そろそろ夏だしホラーでも....... 映画『来る』 結局何が『来る』の??

【レビュー】そろそろ夏だしホラーでも.......

  映画『来る』 って、結局何が「来る」んだよ!?

 

 

みなさん!もうすぐ夏ですねぇ。夏といえばホラー映画ですよね!!

ということで今回は映画『来る』の結局何が来たの?

というネタバレも含んだレビューを行っていきたいと思います!!

 

 

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出展: kuru-movie.jp   

 

1.あらすじ 

決して「■■■■」の名を呼んではならない。「■■■■」は、声と形を真似て、人の心の闇に・・・来る!!! どんどんエスカレートする霊的攻撃に、死傷者が続出。真琴の姉で日本最強の霊媒師・琴子の呼びかけで、日本中の霊媒師が田原家に集結し、かつてない規模の「祓いの儀式」が始まろうとしていた。彼らは、あれを止めることができるのか!?

引用元:Filmarks映画

 

2. 結局何が「来る」?  ※ ネタバレ注意

 では結局何が来るのか?

「来る」その正体は........

 

そう、ぼぎわんです。

 

「いや、結局ぼぎわんってなんやねん!」

っと映画を見て思った方

沢山いらっしゃるのではないでしょうか?

 

では、そのぼぎわんの正体について考察していこうと思います。

 原作ではある程度その正体について記述されています。

 

しかし映画ではその正体について

 

全く言及されていないんです!!!!!

 

ということで、今作における「ぼぎわん」とは何を表していたのか

その正体について考察していこうと思います。

 

 

 

3. ぼぎわんの正体

 

原作では軽く、ぼぎわんについて

記述がされていましたが、映画では全く言及されていませんでした。

 

ぼぎわんが一体何を表していたのか

簡単に言語化するならば

 

おそらく

破滅や死といったネガティブな“何か”でしょう。

 

では何故これほどまでに、ぼぎわんの正体を

抽象的に表現したのでしょうか?

 

おそらくそれは

ぼぎわんの正体よりも

この映画が

よりプッシュして伝えたい

メッセージがあったからだと考えられます。

 

では 

この映画が伝えたいメッセージとは一体何だったのか?

それは........

 

あらゆる”痛み”から逃げるのではなく

それとしっかり向き合って生きていくことの重要性です。

 

ぼぎわんの被害者となった人々には

ある共通点があります。

 

それは、みんな何かしらの“痛み”を抱えていることです。

 

そして

ぼぎわんが来るタイミングは

その”痛み”から逃げようとした時です。

 

映画では柴田理恵演じる霊媒師のせつ子が

「生きているという事は、痛みを感じること」

というセリフを残しています。

 

このように

今作ではただ

ぼぎわんの正体を探るホラー映画ではなく

 

上述したメッセージを

強くプッシュして伝えたかったがゆえ

 

ぼぎわんの存在を明かすという所には

あまりフォーカスされなかったのでしょう。

 

まぁそもそも原作でもぼぎわんの正体はそこまで

深く言及されていないっぽいんですが.......

(読んでいないので分からない。)

 

ということで結論をまとめると

ぼぎわんの正体は

 

破滅や死などネガティブな"何か"であり

ここまで抽象的に表現した理由は

映画が伝えたかった部分が別にあるから

という感じでしょうか。

 

4.感想

 

この映画を観終わってから思った個人的な感想を述べます。

 

ぼぎわん(破滅や死などネガティブな"何か")を追っ払う

ためには除霊師などいわゆる「神頼み」ではなく

より現実を見つめなければいけないんだなと痛感した作品でした。

 

きっと全ての人が、ぼぎわん(破滅や死などネガティブな"何か")に

襲われる可能性があって

 

その原因は

偶然的な何かではなく

自分自身の辛い過去や、嫌いな自分など

いわゆる”痛み”と向き合わないことが原因何だと感じました。

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さて今回は、この映画が伝えたかった"メッセージ"について述べていきたいと思います!! 

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この映画が伝えたかった事とは!? ※ネタバレ注意

 

 いきなりですが、今作のメッセージの結論を簡潔に!!!述べたいと思います。

 

 この映画のメッセージ

それは.....

 

ハンディーキャップを持った人々の

社会で生きることの難しさを

伝えようとしています。

 

このメッセージが読み取れる理由を、ポイントとなるシーンを踏まえながら簡単に!!述べていきたいと思います!!!

 

ポイント1エドワードとの出会い」

主人公のエドワードとは昔、町から離れた発明家が作った人造人間のことです。

 

エドワードは完成する直前に発明家が死亡し、手がハサミという未完成の姿のまま

屋敷に一人残されてしまいます。

 

ある日、ペグという女性がセールスのためその屋敷に訪れ

エドワードを発見します!

 

一人寂しそうなエドワードの姿を見て

ペグは彼を家へ連れて帰り一緒に住む事を提案します。

 

初めは、手のハサミのせいで、ご飯が上手く食べられなかったり

服を不用意に切ってしまったりと、生活に戸惑う姿が多々見られます。

 

しかし、ある時ハサミの手を逆に上手く利用して、庭の植木を刈ったり

奇抜なヘアスタイルにしたりと能力を発揮する事で

人々の人気者になります。

 

ここでのポイントは

たとえ人とは変わった特徴や能力があっても

その使い方次第では様々な可能性を見いだせる事ができるという事を

読み取る事です。

ポイント2「BBQでの会話での会話

 ある時エドワードはBBQに参加することになります。

そこで、ある一人の男性がエドワードに話しかけます。

 

男性「決してお前を障害者だと言わせるなよ」(うる覚え

 

これに対しエドワードはよく理解できていないような素ぶりを見せます。

 

この男性の一言から、エドワードは現実世界的で例えると

ハンディーキャップを持った人々を表現している事が

考えられます。

 

ポイント3 「天使の氷像を掘るエドワード」

 

エドワードはペグの娘である、キムに恋をします。

キムは初めエドワードに対して不信感を抱いていましたが

とても優しく真っ直ぐな心を持ったエドワードに惹かれていきます。

 

ある時、クリスマスツリーの飾り付けを家でキムが行なっている時

ふと、窓の外を見ると、美しい雪が降っていることに気がつきます。

外に出てみると、家の中から見えた雪は

雪ではなく、エドワードがハサミで天使の氷像を掘り

飛び散る氷の破片であったことに気がつきます。

 

美しい氷の破片を見たキムはゆっくりとダンスをしながらエドワードに

近づいていきます。

 

(ここはとても美しいシーンでしたね!!)

 

しかし........その美しさはジム(キムの元彼女)の

怒鳴り声によってぶち壊されてしまいます。

 

驚いたエドワードはキムの手のひらを誤まって切ってしまい

ジムに責められだけでなく人々が騒ぎ立てたせいで家を飛び出してしまいます。

 

エドワードは元々住んでいた屋敷に戻りますが

ジムが追いかけてきてエドワードを殺そうとします。

 

それを止めようと、キムも屋敷に到着します。

激しい攻防の末、キムを守るためエドワードはジムを殺してしまいます。

 

エドワードに不信感を抱く人々が屋敷の近くまで来た時

キムはエドワードに別れのキスをして

エドワードとジムは相討ちになって死んだ」と人々に告げます。

 

エドワードを恐れる人々からエドワードを遠ざけることに成功しますが

今後エドワードが街の人々に出会わないようにするため

 

二人はその日の晩を最後に二度と会うことはありませんでした。

 

ここでのポイントは

なぜ!!

この日を最後に二度と会う事がなかったのか?

という事です。

 

おそらくその理由は

エドワードを恐れる人々が

二人の関係を決して許さないと

 

キムが考えたからでしょう。

つまりこのシーンこそが

 

エドワードという

人と違う特徴を持った者が

現実世界で生きていくことの難しさを表しているんです!!

 

ポイント4 「屋敷から飛んでくる雪はエドワードの

      キムに対する愛が届いている事を意味する!!」

 

映画終盤では歳老いたキムが、女の子に雪が降る理由を説明します。

ここで年老いたキムは女の子に

 

「彼(エドワード)が来るまでこの町で雪が降ることはなかったの

でも、あれから毎年雪が降る。きっと、彼がお城で氷の天使を作っているのよ。」

と話します。またこの会話の後、エドワードが屋敷から

天使の氷像を掘りその破片(雪)を飛ばしているシーンが写し出されます。

 

ここでのポイントは

 

この屋敷から飛んでくる雪は

エドワードのキムに対する愛が届いている事を意味しているという事を読み取る事です。

 

まとめ

ポイントをまとめると

 

人とは違う特徴を持ったエドワードと出会う

人との違いは生かす場面によってはその才能を発揮する事ができる

キムとの恋は思いは届くが世間の目が邪魔をし

離れ離れになってしまう。

 

以上のことから本作のメッセージは

ハンディーキャップを持った人々の

社会で生きることの難しさ

という結論に至りました。

 

 

 

【感想 & 解説】『トイ・ストーリー4』が伝えたかったメッセージとは!?

トイ・ストーリー4』が伝えたかったメッセージとは!?

今回は、この映画が伝えたかった"メッセージ"の解説と個人的な感想について述べていきたいと思います!! 

C)2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

 

 

この映画の"メッセージ"とは!? ※ネタバレ注意

 

 いきなりですが、今作のメッセージを簡潔に!!!述べたいと思います。

 

 

 今回の主なメッセージそれは.....

 

「(玩具としての)使命か?」

「内なる心(自分自身のやりたい事)か?」

あなたは、どちらを選択しますか?

 

....という事です。(メッセージというより、聞き手への「問い」に近いですね)

「ん?な〜に言ってんだ」と思った方、「なるほど」と思った方

色々な方がいらっしゃると思いますが........

 

このメッセージが読み取れる理由を、ポイントとなるシーンを踏まえながら簡単に!!述べていきたいと思います!!!

 

ポイント1 「フォーキーとの出会い」

フォーキーとは 

ボニーがゴミから作ったおもちゃです。

映画の序盤、フォーキーは隙さえあればゴミ箱に逃げようとします。しかし、ウッディーがフォーキーに対し「君はボニーのおもちゃでボニーを笑顔にしなければならない。」みたいな事を伝え、"おもちゃ"としての使命をフォーキーに伝えます。

ウッディーのこの言葉に対し、初めはフォーキーは反発的でしたが、次第にウッディーとの間にも絆が生まれ、フォーキーはおもちゃとしての自覚を持ち始めます。

 

はい......「ポイント1」は以上です。(笑)

このポイントで大切な事は 

単にフォーキーとの出会いではなく......

 

ウッディーが、おもちゃとしての使命を

重要視していることを読み取る事です。

 

 

ポイント2バズとの会話」

 

ここで述べる、会話のシーンとはボニーの車の中で、夜フォーキーが逃げ出さないようにウッディーがほぼ休憩なしで見張りをしている所、心配したバズがウッディーに話しかけに言ったシーンです。

 

バズとウッディーの会話はこんな感じでした。(うる覚え

 

バズ「ウッディー何故そこまでフォーキーを止める?」

 

ウッディー「それは、俺の内なる心がそう言っているからやで!」

 

バズ「おい!すごいなウッディー!君にはそんな機能があったのか!?」

 

ウッディー「いや、そういうのじゃなくて.......(苦笑)」

 

バズ「俺にもあるかな?」 胸のボタンを押す

 

みたいな一見茶番に見えるようなシーンがポイントです。

 

ここで大切なことは

このシーンでの、ウッディーの内なる心とは一体何のか?ということです。

 

ポイント3 「ボー・ピープとの出会い」

フォーキーがボニーのもとから逃げ出し、ウッディーが探している最中に

ボーピークと運命の再会をします。

 

ウッディーは、ボーがこれまで持ち主に見捨てられた事、アンティークショップに二年間売られ続けた事、誰にも買われず、大変な時を過ごしていた事を知ります。

 

ウッディーは、それに同情していましたが、ボーは「今は広い世界が知れて最高よ」!みたいな事を言います。

 

ここで大切なことは、

 

ウッディーの考える玩具としての使命を全うせず

自分自身のやりたい事をしている新たな価値観を

持ったボーと出会う事です。

そして、ここら辺のシーンからウッディーの価値観に変化が現れていきます。

 

玩具としての使命を全うしない、新たな価値観との出会いはウッディーの心情に何らかの変化を与えたのではないでしょうか。

 

そして、その価値観を持った存在がボーですからね大好きなボーですからね!それは色々考えちゃいますよね。

 

ポイント4 「ギャビー・ギャビーとの出会い」

ギャビーギャビーはウッディーのボイスボックスを奪うため、フォーキーを囮として捕まえます。

 

ギャビーギャビーがウッディーのボイスボックスを狙う理由、それは

一度も子供のそばで愛された事がなく(ボイスボックスに欠陥があり、売られなかったため)、一度でも子供の側で愛されてたい、遊ばれたいという強い願いがあるからです。

 

彼女は、今までアンディーに大切にされてきたウッディーの事を羨ましがり、一度でも子供に愛されたいという想いをウッディーに訴えます。

 

また同時に、「アンディーのもとを離れたウッディーのおもちゃとしての”使命”はもう終わり、好きなように生きていいんだよ」という事を伝えます。

 

ギャビー・ギャビーの願いを知った、ウッディは最終的に自らボイス・ボックスを渡すことを決意します。アンディとの素晴らしい思い出を大切にしている彼は、ギャビーにもそんな経験をするチャンスを与えようと考えたのです。

 

ここでのポイントは

 

アンディーのもとでの使命を終えたウッディーに対し

好きなように生きていいんだよ

という彼女の問いかけに

心が揺れている事を読み取る事です。

 

もしここで、心が揺れていなかったら、ボイスボックスをギャビーギャビーに渡していなかったでしょう。

 

ポイント5 別れ」

 

終盤、無事フォーキーを連れてボニーの所まで連れて帰り、バズ達とウッディー達が合流します。ボーに別れを告げ、バズの所まで帰ろうとした時

 

ウッディーは立ち止まり、下を俯きバズと話します。

 

ウッディー「ボニーは......」

 

バズ 「ボニーは大丈夫だ」

 

ウッディー「でも、ボニーは....」

 

バズ「ボニーは心配ない」

 

ウッデイー「ボニ....」

 

バズ「自分の内なる心に聞け!」

 

そしてウッディーはボーの元へ走って戻り

バズはボニーの車へと帰ります。

 

このシーンから

ウッディーはおもちゃとしての使命ではなく

自分自身の内なる心を選択した事が読み取れます。

 

ここでいう内なる心というのは、「新しい世界を沢山見たい、ボーと一緒にいたい」

など用は自分自身が信じるこれからのやりたい事です。(ここは読み手の想像次第でしょう。)

 

まとめ

ポイントをまとめると

 

おもちゃとしての使命を大切にしているウッディーが

ボー・ピープ、ギャビー・ギャビーとの出会いによって

自身の内なる心を選択するウッディーへと変化していく姿を

写している事が今回の映画で読み取る事ができますね。

 

今回の映画でウッディーは内なる心を選択しました。

しかし、これは必ずともこの選択が正しいという事ではないと思います。

 

ウッディーのこの選択に対し、ある意味ショックを受けた方もいるのではないでしょうか?

 

このウッディーの選択に対し議論が生まれる事は、当たり前の事であり、正解はないと思います。なぜなら人生の選択は、人それぞれで自由だからです。

 

大切なのは

この映画を観た後

自分自身がもし、このウッディーと同じような選択を問われた時

どちらを選択するか考える事だと思います。

 

以上のことから

今作の"メッセージ"は

 

「(玩具としての)使命か?」

「内なる心(自分自身のやりたい事)か?」

あなたは、どちらを選択しますか?

 

という結論に至りました。

 

個人的な感想

今作を観て、個人的な感想を述べます。

 

最後のシーンをみて

賛否両論ですが、個人的にウッディーのあの選択は映画としても

ウッディーとしても良かったのではないかと思っています!

 

人生は自分で作っていくものであり、自分の信じる道をウッディー選んだ

ウッディーはある意味、現代的な人間らしい姿に見えて好感を持てました。

 

そして何より最後の

バズとウッディーの「無限の彼方へさぁ行くぞ!!」というセリフを聞いた時は

鳥肌が立ちましたね!!(笑)

 

「内なる心」=「無限の彼方」を表していて

素直に「かっこいいい。」(笑)と思いました。